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義に過ぎてはならない

2020年10月25日 本日の宣教より
       伝道の書7章15~22節        左右田 理

 義人は滅び、悪人が長生きする(15節)…神も仏もあるものか、という叫びが聞こえてきそうな虚しい現実です。ヨブ記におけるヨブの訴えにも相通ずるように思えます。とはいえ悪に過ぎればやはり滅びるようですし(17節)、長生きするのは善悪のバランスをうまく保った者ということになりましょうか。実際、新共同訳聖書で18節は「一つのことをつかむのはよいが他のことからも手を放してはいけない。神を畏れ敬えばどちらをも成し遂げることができる」となっています。善悪双方を成し遂げるなどと聞けば、ずるい奴だなぁ、という悪い印象にもなりましょう。けれどもそのような命こそが、己の義への執着から逃れ出て、罪の世で生かされている恵み、神の憐れみに気づくのではないでしょうか。
 とはいえ、ずるい言動には腹が立ちます。しかし腹が立つときは、自分が“正しい側”にいるつもりになっています。自分が、いわゆる“罪人”だと本当に自覚していたら、他人の背中を指さしている余裕などありません。“正しさ”を求め、探し、たたいているときこそが、誰彼を断罪する誘惑から解放されている幸いなときです。「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。」(マタイ5:6~7)
 誰かをゆるせないのは、自分の正しさの証明ではなく、自分の経験値不足の証明だという指摘もあります。過ちの経験(記憶)がないとき、容易に義憤に駆られて断罪し、自己義認の虜になります。しかし取税人や遊女と呼ばれる人たちの、社会的に悪とされる経験にも耳を傾けたであろう主イエスの食卓には、ゆるされ生かされている恵み、神の憐れみが豊かに分かち合われたことでしょう。(20~22節)「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8:28)
 神の憐れみを満たすための知恵は、治安強化など正義の支配より、はるかにまさるのです。(19節)

by ohmiyabap | 2020-10-25 07:00 | 宣教