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その人には幸福がある

2020年11月1日 本日の宣教より
       伝道の書8章8~17節        左右田 理

 悪はこれを行う者を救うことができない。(8節)…てっきり悪者が地獄に突き落とされるのかと思いきや、“わが世の春を満喫”したまま大往生です。(10節) 悪の“空”(むなしさ)とは、悪に身を委ねた人が何らかの被害に遭い成敗されることではありません。悪の“空”の一つは世相のむなしさです。悪に身を委ねた人に対する攻撃、断罪がなかなか現れないため、悪に身を委ねた人の生き様がいわゆる善人の心を支配し、善人が悪に迎合していく社会現象です。(11節) 悪に身を委ねた人のまわりをそれに倣う人が幾重にも取り囲んでいき、悪への傾倒はより無意識的で、より強固になり、そこから抜け出ることは困難になっていきます。
 本日の聖書個所で悪の“空”(むなしさ)はもう一つ指摘されています。悪に身を委ねた人は“わが世の春を満喫”することはあっても、幸福はいわゆる善人のみに与えられる、ということです。(12~13節) 世の境遇の比較優劣に目をやるとき、往々にして悪に魅了され始めます。(14節) 誰彼を不幸に突き落としてでも優位に立とうとする衝動が一旦生じると、止まることを知らなくなっていきます。(16~17節)「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」(ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏)
 幸福は日常の飲食を喜び楽しみ、満足を知ることだと指摘されます。生きている今…否、自分の知恵や力で生きているわけではなく、“生かされている今”を感謝しましょう。(15,13節) そして今を感謝し、満足を知る命は、抱え込む幸福から、分かち合う幸福へ進むことができるでしょう。(使徒行伝20:35) キリストの死は分かち合いの原点となりました。(1コリント11:23~24) 主の晩餐式や愛餐会など主の食卓を囲むとき、私たちは分かち合いの幸い、互いに手渡し明け渡す幸いに招かれています。
 分かち合いに満たされる命の豊かさは計り知ることができません。(16~17節) 個人主義的には失敗者という社会的評価をくだされるような時でも、その人々には幸福があります。

by ohmiyabap | 2020-11-01 07:00 | 宣教