人気ブログランキング | 話題のタグを見る

目をさましていなさい

2021年3月7日 本日の宣教より
   マタイによる福音書25章1~13節       左右田 理

 天国に入れる人と、入れない人…分断を感じさせる本日の聖書個所です。(聖書教育p.68~69参照) 主の再臨に間に合わず世を去った人、まだ世に残り再臨の主と出会う希望のある人…迫害に耐え切れず教会を去った仲間、なお教会に踏みとどまっている仲間…他にも初代教会にはすでに分断要因がありました。そもそも初代教会は選民思想に生きてきたユダヤ人が多数でした。初代教会時代の影響著しい文献として新約聖書にも、救われる人、救われない人という分断構造があっても不思議はありません。しかし教会の主は、あの十字架で、非国民、国賊として神の国イスラエルから排斥されたお方でした。歴史的教会は、天国をどのように待ち望むのか、歴史の主からの問いを託されてきました。
 本日礼拝で「東日本大震災から10年を数える祈り」(東日本大震災現地支援委員会)を共に捧げました。そこから、被災地に分断がもたらされている原因として、いわゆる復興も深く関係していることが見えてきました。それは復興“成果”による格差ではないでしょうか。それは疎外感、孤立感となって命を傷つけ続けます。だとしたら“誰も置き去りにされてはならない、忘れ去られてはならない”、これこそ命の主のメッセージであり、福音的使命であり、教会に託されている祈りではないでしょうか。
 本日の聖書個所の“油”は、火を灯し続けるために用意されています。だから油の乏しかった人たちは置き去りにされ、扉は固く閉ざされました。しかし、もしその扉が開きやすいよう、ちょうつがいの滑りが良くなるよう、油が注ぎ用いられたらどうでしょうか。一旦、灯が絶え闇に覆われようとも、分け隔てなく多くの命が迎え入れられる希望の灯になりはしないでしょうか。
 天国は欠けや至らなさ、破れや隙間が、誰かの生を照らし出す希望の国なのではないでしょうか。(2コリント12:7~9) 震災から10年、私たちは愛の欠け、至らなさを痛感します。その痛みをもって忘れることなく覚え続けましょう、共に祈り続けましょう。

by ohmiyabap | 2021-03-07 07:00 | 宣教