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一つの幻を見た

本日の宣教より  2021年5月23日
       使徒行伝16章6~15節            左右田 理

 助けるようで、じつは助けられている…自分は必要とされていないのではないかと意気消沈するような八方塞がりに、自分を必要とする声が思わぬところから届く…それが本日の聖書個所に描かれた伝道者パウロの姿です。それはまた牧師職務の根幹のようにも思えます。さらにそれは教会内にとどまらず、世に広く満たされてゆく十字架と復活の主の勝利、救い主の摂理ではないでしょうか。それまで当たり前のように振る舞えた日常が突如制限されるとき、その先には必ず人知を越えた希望を証しする神の幻が現れます。人知を越えたキリストの明日が待っています。
 15章で、伝統的な救いの理解に対抗し、今目の前にある出来事に基づく救いの理解を力強く証ししたパウロたちは、異邦人教会の安否確認の旅路に出ようとしました。(15:36) 伝統の経験の浅い異邦人教会が福音にしっかり立ち続けているかどうかは、パウロの福音理解の生命線でもあったことでしょう。ところがその福音理解でパウロたちは分裂します。(15:37~40) 福音は十字架(の苦難)の主を誇りとして従う道か、十字架の主のゆるしに生きる道か…パウロは“ゆるし”の乏しさの自覚もあったのか伝統的理解にも心を配ります。(16:3~5) 本日の聖書個所冒頭に描かれた“聖霊による妨げ、迷走”は、パウロたちが抱える葛藤の反映でしょう。しかし、そこにこそ福音の活路が開かれていったという人知を越えた慰めと希望が証しされます。(1コリント10:13)
 神の幻とは、神が応援団旗を翻して迎えに来てくださる姿に違いありません。団旗に縫い込まれた鮮やかな文字は“弱いときにこそ強い”です。(1コリント2:3、2コリント12:9) そこに映し出される未来は、無に等しくされていた者を必要とする助け手を起こしてくださる神の救いのみわざです。
 どれほど道を閉ざされ、道に迷っても、命の主は新しく生きる道、さらには命の必要を備えてくださいます。(15節) 共に神の幻を祈り求めつつ明日へ踏み出していきましょう。

by ohmiyabap | 2021-05-23 07:00 | 宣教