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真夜中の賛美

本日の宣教より  2021年5月30日
       使徒行伝16章16~34節            小倉 昇

今月は、聖書教育誌をもとに使徒行伝から御言葉を聴いてきました。今日はその最終の主日です。
先週は聖霊降臨日(ペンテコステ)でしたが、この日は、主イエスが天に昇られた後、弟子たちが一緒に集まって祈っているところに聖霊が降り、新しい力が与えられたことを記念する日です。この出来事の後、弟子たちはイエス・キリストを伝える宣教を始め、福音はエルサレムから小アジア、ヨーロッパ、世界へと伝えられたことで、この地、大宮にも教会が誕生しました。
その聖霊とは何か? 本日のテキスト箇所(16章全体)の中には、具体的にわかる場面があります。

・占いの霊につかれた女(16:16~18)
「占いの霊」とは、原意は「霊にとりつかれている状態」「口寄せ」「腹話術」といった意味です。この女性の場合、ギリシャの神々の託宣を受けて運命や運勢をよく言い当てると評判だったようで、奴隷の所有者に多くの利益を得させていました。
占いの本質は、自分の人生にとって都合の悪いところは、自分が変わることなく神によって変えてほしいとの自分本位です。占ってもらう側にとって、神は人に仕えるもの、自分の願いを叶えるため(自分の苦しみや不幸を逃れるため?)の道具です。パウロは、この女性にとりついた霊に対して「出ていけ」と命じ、「すると霊は出ていった」と記されています。このような霊を聖書では悪霊と呼んでいます。
・パウロとシラスの投獄(16:19~24)
パウロが女にとりついた霊を追い出したことで、商売ができなくなった主人たちは、怒り、役人に訴え、パウロとシラスは、鞭で打たれて投獄されます。
・真夜中の賛美(16:25)
「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた」とあります。暗い牢獄に足かせで繋がれ、鞭打たれた傷の痛みと苦しみの中で、神さまの栄光をたたえる賛美を静かに歌い、祈ったのです。ここには自分本位とは逆の神さまを主人とした二人の姿があります。祈りと賛美は、暗い牢獄の中に平安、明るさ、豊かさをもたらしました。この後、大地震で牢獄から脱出できる事態になっても、囚人たちは逃げ出さず、パウロとシラスと共にいることを選びました。それは聖霊のもたらした働きと言えるのではないでしょうか。
・看守と家族の救い(16:26~34)
大地震が起こり、牢獄の囚人の鎖が外れ戸も空いているのに気付いた看守が、囚人たちは脱獄したと思い自害しようとします。パウロが看守にだれも逃げていないことを伝えると、看守は驚き、「救われるために、何をすべきでしょうか」と尋ねます。パウロは「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」と答えると、看守は「それから、彼とその家族一同とに…語って聞かせ…その打ち傷を洗ってやった… 神を信じる者となったことを…共に心から喜んだ」と記されています。この看守と家族の救いに誘った働きも聖霊の働きと言えるでしょう。
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」とは、自分と自分の家族だけにとどまらず、関わる全ての人を巻き込むものであり、福音の豊かさに共にあずかることでもあります。

使徒行伝は28章のパウロのローマ到着の場面で終わっています。その続きは、今日まで世界で続いている宣教の働き、教会の歴史だとも言われます。
大宮教会は、今さまざまな面で変化の流れのなかにありますが、主イエスに信頼し、聖霊の働きに委ねて、これから先も共に歩み、次の時代に繋げてまいりましょう。

by ohmiyabap | 2021-06-05 07:46 | 宣教