人気ブログランキング | 話題のタグを見る

神が与えるもの

本日の宣教より  2021年8月1日
       エゼキエル書2章1~10節           左右田 理

今年の聖書教育では8月平和月間の聖書個所としてエゼキエル書が選ばれています。旧約聖書の多くの預言が約束の地イスラエルを自分たちの救いとして信じ希望に生きている者たちを中心に展開しています。しかしエゼキエル書の預言は救いの約束から放逐された(と見なされている)者たち、滅びの憂き目にあった(と見なされている)者たちを中心に展開します。預言者として立つよう招く神に対して意欲的に立候補する者(イザヤ6:8)や、苦しみながらも承諾する者(エレミヤ1:7)とも違って、自らの意思を越えて主の霊により立ち上がったエゼキエルでした。(2節)…エゼキエル書から私たちは人知を越えた平和の預言に耳を傾けましょう。
神の言葉は人知を越えているがゆえに不思議に満ちています。預言者エゼキエルに託された言葉は悲しみと、嘆きと、災の言葉でした。(10節) それは救いの地から遠く捕え移されていたエゼキエルにとって身近な言葉だったことでしょう。いまだイスラエルの地で暮らしている人たちにとっては呪いの言葉に聞こえたでしょうけれども、それこそが“神が与えるもの”(8節)でした。聖書教育p.38~39によれば、神が与えるものを食べなさい、というエゼキエルへの招きは神の言葉と一つになるようにとの招きであり、預言者としての使命を託す神の召命でした。
神の言葉は呪いの言葉ではなく十字架の主によって証しされた平和の言葉です。それは、日常的に うめきの中にある命と祈りで連帯するよう招く言葉です。(ローマ8:19~24) それはバビロン捕囚の災いを免れている喜びではなく、バビロン捕囚のただ中で苦しむ者たちと祈りによって連帯する喜びへの招きです。
大宮バプテスト教会ミッションステートメント「…共に祈りで支え合い、この地で、それぞれが遣わされた場で、証と奉仕に努めます。…」祈りは時と場所を越えて命と命とをつなぎます。これからも私たちは共に祈りましょう。世界をつなげてもらう喜びに向かって。世の様々な悲しみ、苦しみのただ中から新しい喜びを創造していただく希望をもって。

by ohmiyabap | 2021-08-01 07:00 | 宣教