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神の手はむなしい幻に敵対する

本日の宣教より  2021年8月15日
       エゼキエル書13章8~16節           左右田 理

 先主日の聖書個所(エゼキエル8章)で、聖地エルサレム残留者たちの堕落(二心)を見ましたが、本日の聖書個所ではバビロン捕囚先の民でも堕落が始まっていて、こちらでは“元通り”の誘惑が民を蝕んでいたようです。しかし神は、聖地エルサレムへの“元通り”は無い、とおっしゃいます。(9節) 神の救いにとって、“元通り”の誘惑は歴史的にも天敵だったのかも知れません。「われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも。」(民数記11:5)
 昔は良かった…あの頃は平和だった…しかし記憶は都合良く変化します。祭司の衣装 (出エジプト28章)を懐かしむ延長で異教の小道具にも心惹かれたのかも知れません。(17~18節) 華やかさ…威勢の良さ…苦しい今であればあるほど過去は美化されやすい。しかし歴史の主は過去の美化をゆるしません。「あなたが行ってその地を獲るのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。…これを得させられるのは、あなたが正しいからではないことを知らなければならない。あなたは強情な民である。…」(申命記9:5~7)
 かつて輝いていた世界平和という言葉も、戦後76年でかなり迷走しています。ネオナチに限らず自国(民族)第一主義はアメリカ、日本、世界各地で声高に叫びます、あの頃の自分たちの栄光を取り戻せ!われこそ正義!これこそ本物の平和だ!…しかし少なくとも日本に対しては歴史の主は応えてくださっています。皇軍不戦神話、大東亜共栄圏構想が砕かれた1945年8月15日の敗戦です。世の優位性による平和など偶像、むなしい幻に過ぎません。
 今年の敗戦記念日も、ひたすらキリストの言葉によってまことの平和を聴きましょう。「…主が言われた、『…わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」(2コリント12:9)

by ohmiyabap | 2021-08-15 07:00 | 宣教