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思い出そう、主の恵み

本日の宣教より  2021年11月7日
       マルコによる福音書8章14~21節  左右田 理

 「目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。まだ思い出さないのか。」(18節)…主イエスは訴えます、人間側の備えの有無など命の問題にはならない!大丈夫だ!(19~21節)…これは、神のみわざに、なぜ委ねないのか、という切なる主の訴えです。「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」(マタイ6:26)
 パン種(15節)は当時、“膨張”や“増大”の象徴的存在でした。(ルカ13:21) 警戒すべきパン種としてパリサイ人だけでなく領主ヘロデの名が挙げられていることで、並行記事(マタイ16:6、ルカ12:1)と比して、より政治的色彩を帯びています。宗教的戒律に加え圧政による社会的拘束が増大し、思い煩いが膨らんでいく世相を、主はパン種に例えつつ憂慮されていたのではないでしょうか。さらに今まで寝食を共にしていた弟子たちまでもが、思い煩いに囚われ委縮している現実を目の当たりにさせられたショックで強い口調となったのではないでしょうか。(17~18節)
 現代もコロナ危機により悪しきパン種がますます膨張、増大しています。自粛警察、感染者や医療関係者およびその家族への風評被害…今回の衆議院選挙の結果一つを見ても、国体を重視する主張者の安定および増加、いわゆる反戦平和主張者の減少は偶然と思えません。“寄らば大樹の陰”、平穏無事志向は現状不安や他者への猜疑心の裏返しです。しかし十字架と復活の希望の福音は“警戒心に警戒せよ”です。「あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」(ピリピ4:5~6)
 大宮教会はコロナ危機を通して、何が見え、聞こえ、そして思い出していけるでしょうか。「神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて万事を益となるようにして下さることを私たちは知っている。」(ローマ8:28)


by ohmiyabap | 2021-11-07 07:00 | 宣教